飛騨高山は、小京都なのかなぁ? 小江戸かなぁ?
いつも 「やどっち」ブログをご覧頂き、誠にありがとうございます。
高山旅館組合理事長の堀です。
青年部の皆さんから『バトンタッチ』を受けましたので、
今回担当させていただきますね。
飛騨高山は、一般的に小京都と言われていますが・・・
奈良時代から飛騨の匠(大工さん)が、約1年交代で毎年順番に
奈良・京に上り、神社仏閣の造営に携わってきたことにより、
都との交流、情報流入が行われました。
その後、戦国時代に入り『金森長近』が飛騨を平定し、
高山城の築城、京都になぞらえて『碁盤の目の町並み』『寺院配置』は、
現在の高山市の町づくりの骨格となりました。
そして江戸時代に入り、飛騨が『天領』・『幕府直轄地』となり
江戸との交流が頻繁に行われ始めました。
それは飛騨を『江戸文化の薫り高く』、『色濃く残す』要因となりました。
はてさて 『味』は、どうでしょう?
蕎麦に代表されるように『蕎麦つゆ』は、関東風であり、
そして『うどんだし』は、関西風なのかなぁ?
味の基本は、『江戸前関東風』でもあり、『京風』の味も残っており
飛騨は、味の接点ではないでしょうか?
まさに、飛騨高山は味どころ。
『山の幸』だけでなく、
日本海から「塩ブリ街道」に代表されるように、『海の幸』も味わえます
ぜひ、みなさんも そんな思いを感じながら
飛騨の味を楽しんでみては、いかがでしょうか?
明日の担当は、青年部長の『ドラゴンパパ』です。
よろしくお願いしますよ。